緑風渚の引き出し

若干ひねくれた大学生が22年の人生の中で思いついたことを書き残してます。

出来る子は放置される

 今日の知的障害教育論で、通級指導教室について、現職の通級の先生が講義をしに来てくれた。1つの事例を丁寧に説明してくれて、とても興味深かった。

 自分も小学校の頃、通級があり、通っている同級生がいたことを思い出した。落ち着きがない子や分数の計算ができない子、漢字が苦手な子が通っていた気がする。通級に通う児童生徒は、その子に合った学習計画が立てられ、基本的には1対1で指導が受けられる。

 それを聞いて、羨ましいと感じてしまう自分がいた。もちろん、通級に通う子は周りと違うことの劣等感などを感じているケースがあると学んだが、1人の先生に見てもらえるのは嬉しい気がする。

 集団授業で、先生の手が十分でないとき、先生は出来の悪い子に注意が向いてしまうものだ。それは、自分が教壇に立った時も、複数の子の学習支援をしているときに実感した。自分で手が動いている生徒には特段声をかけず、手が止まっていたり、集中力が切れている生徒に声をかけてしまう。

 高校生の頃、好きだった先生が自習監督に来た時、紙でジャバラを作って、振り回したことがあることを思い出した。構ってほしくて、変な行動をしたのだ。普段は普通に振舞っているのだが、普通に授業を受けてても、構ってはもらえないのだ。授業中しょっちゅう寝たり、赤点を取ったりしないといけないのだ。そんなことはできないけど、出来る限りの奇行が、自習中にジャバラを振り回すこととだった。

 その時の記憶が何故か思い起こされた。