緑風渚の引き出し

若干ひねくれた大学生が22年の人生の中で思いついたことを書き残してます。

フリースクールへのもやもや

 不登校が増える中、フリースクールが注目されている。

 ただ、フリースクールへはなぜかもやもやする。

 学校は決して楽しいところではない。ある種義務である。それに如何に適応するか。学校は我慢を学ぶこともできるし、自分とは合わない他者とうまくやらなきゃいけない。フリースクールに通うことをわがままに感じてしまう。どうしても遊んでいるんじゃないかと思ってしまう。学校がだめだから別のところに求めるのではなく、学校を改善しようとは思わないのか。日本の学校は平等に偏っていて限界もあるかもしれないが、公共空間を改善する方向には動かないのか。

 フリースクールを認めることは公教育の崩壊を招くのではないかとも思ってしまう。学費もかかるし。教育に関心のある家庭はフリースクールなど各自が良いと思った教育を受けさせ、そうでない家庭は公立の学校に行くのではないかと。フリースクールに公共性はあるのか。民主主義の担い手の育成という意識はあるのか。

 誰もが、地域に依らず、家庭の経済力に依らず、一定水準の教育を受けることができることが日本の義務教育だ。もちろん生徒の可能性を伸ばすことと国民を形成することの二面性があるが。

 自分自身は学校文化に適応できてしまったし、中高は私立なのでここまで言ったことは綺麗事かもしれない。