緑風渚の引き出し

若干ひねくれた大学生が22年の人生の中で思いついたことを書き残してます。

典型的な階層再生産

 進路が決まってから、もやもやすることがある。

 自分が官僚になることは、教育社会学的に見ると典型的な階層再生産の例だと感じるからである。

 都内在住で、共に大卒の両親から生まれた子が、官僚になる。これを支えているのが学校教育だ。中学受験をし、私立中高一貫校に入学し、旧帝大に進学する。さらにこれを支えるものに学校外教育(塾)がある。小4から小6まで中学受験塾に通い、高2からは大学受験塾に通った。これが教育によって支えられた、現代日本の絵にかいたようなエリートコースである。

 もちろん自分も努力もないわけではないが、今の地位を手にしているのはやはり環境の影響が大きいと思う。環境とは生まれや教育環境、親の意識などである。いくら自由に職業選択ができる時代だと言われても、いくら自由に教育環境が選べる時代だと言われても、不公平は十分に残っている。身分制社会のように明確に区別がない分、現代は身分制社会よりたちが悪いと私は思う。建前では自由・平等・公平と言いながら、実際には生まれや経済力によって選択肢は大きく異なる。家庭の経済力に応じて受けられる学校教育の質が変わってしまうのであれば、学校は階層再生産装置になりかねない。

 格差の固定化や貧困に問題意識を持ちながら、自分は持てるものを最大限生かして、極めて安定した、社会経済的地位の高い職に就く。実際矛盾はしてなくても、矛盾した行為のようにも感じる。

 研究者より実際に手を動かす方が向いていると思い、就職することを選んだが、階層再生産を是正するような仕事ができるかはわからないし、階層再生産を是正すべきかもわからなくなってくる。進路が決まっても悩みは絶えない。