緑風渚の引き出し

若干ひねくれた大学生が22年の人生の中で思いついたことを書き残してます。

モヤモヤしたこと近況

~学部の友人とLINEグループで教育談義をしていて~

 卒論は進まないのに、学校関連のニュースを共有し、教育談義をしているときは手が止まらない。4月からは教育とは全く異なることを仕事にするんだなあ、と思い、少し寂しくなる。他の皆は大学院に進学するなか、農学院の同期ばかりの職場で教育の話はしづらそうだなと少しだけ思う。

 

~春から高校教員をしている先輩とLINEしていて~

 大学院に戻って教育社会学研究がしたいと言っている知的好奇心の強い先輩(公民科)に、自分は偽りの知的好奇心だと伝えてみたところ、ブルジョア階層だからな、と言われた。真意を聞けていないが、非難がこもっていることは確かだ。

 

不登校定時制高校経験の文科省官僚の記事を読んで~

 文科省官僚なりたかったなぁ、自分の強みを生かして仕事したかったなぁ、と思ってしまった。やっぱり文科官僚に憧れている。官庁訪問はマッチングだとわかっていても、教育社会学を専攻して、文科官僚になっているケースをみると、羨ましいと思ってしまう。

 

~教職ポートフォリオを書いていて~

 民主主義社会を形成する市民の育成と書いてみたものの、自分が本当にそう思っていないから薄っぺらい言葉になる。自分だって、民主主義を担う市民になれてないし、社会問題に関わらなくていいなら関わりたくない。だって、めんどくさいじゃん。半径5メートルが幸せならそれでいい。

 あと、手書きはしんどいって。何の意味があるの。電子化しろ。暴動起こすぞ。卒論を書く時間を奪うな。

 

~卒論を書いていて~

 なんのために書いているのか。卒業のため? 他者から評価してもらうため? 立場の弱い人のために書きたかったのに結局自分のため? これをやって何になるの? 何が明らかになるの? 何のために明らかにするの? なぜ研究するの?