緑風渚の引き出し

若干ひねくれた大学生が22年の人生の中で思いついたことを書き残してます。

綺麗なセックス、汚いセックス

 性と穢れが結びつくのはどうしてなのだろう。セックスに綺麗とか汚いとかがあるのだろうか。プラトニックな恋愛の方が綺麗で、性欲に溺れている方が汚い気がするが本当だろうか。

 こんなことを考えていてはセックスできなくなってしまうため、考えないようにしていた。考えすぎると勃起しなくなる。セックスの時に理性は邪魔になる。しかし、最近また村上春樹を読む機会があり、また考えてしまった。

 村上春樹のセックスの描写が好きだ。すごく綺麗なセックスであるように感じる。エロに重きを置いているのではなく、物語の中にごく自然に、人間関係の変化として交わることが多い。ごく自然に、当たり前のようにセックスをする。たとえ変わった状況であっても。

 村上春樹の描くセックスは、関係や感情に重きを置いているのかもしれない。たしかに、理性のあるセックスこそ人間らしいセックスである気もする。子孫を残すことではなく、愛情を深めるためのセックスに憧れているのかもしれない。