緑風渚の引き出し

若干ひねくれた大学生が22年の人生の中で思いついたことを書き残してます。

偽りの知的好奇心

 自分の知的好奇心は偽りだと思うことが増えた。大学で時々純粋な知的好奇心で勉強している人がいるからかもしれない。

 自分は知的好奇心があることはいいことだと思い込み、周りに頭よく見られたいからがゆえに勉強していると思う。その背景には幼少期から勉強することはいいことだと刷り込まれ、勉強できることがアイデンティティになっていったからだろう。高校生のときに、自分が人より秀でているのは勉強しかないと思っていた。(だからこそコンプレックスにもなるのだが。)

 大学3年生の今も、人に、周りに、社会的に良く思われたくて勉強している気がする。実際誰にも見られてなければ、You Tube Shortsを永遠と見続け、2時間がたち、最近は自己嫌悪をする前に2時間の浪費を記憶から抹消し、なかったことにしている。この中途半端さのおかげで、大学との成績との付き合い方が分からないまま3年生が終わってしまった。適度な不真面目さのおかげで、成績の悪い科目がちらほらあり、平均GPAを下げている。

 卒論の準備も、楽しいからやっているというより、どうせやらなきゃいけないなら満足のいくものをと思ってやっているだけで、研究者には到底なれそうにないと感じている。内的動機づけではなく、外的動機づけである。

 もう半ばあきらめているが、本当に好きなことを見つけたい。