緑風渚の引き出し

若干ひねくれた大学生が22年の人生の中で思いついたことを書き残してます。

賢くなりたいのか

 本屋で立ち読みしていると、自分が「教養」という単語に弱いことがわかる。ついつい手に取ってしまうのだ。「大人の教養」「教養としての○○」など、本屋には山ほど本がある。

 頭がよくなりたい、賢くなりたいのだと思う。

 しかし、賢くなっていいことはあるのだろうか。世界の見え方が変わるが、それは"いい"変化なのか。知識が増えれば、得るものも増えるが、それは必ずしもいいとは限らない。物事を複雑に捉えられるようになったから幸せになれるわけではない。むしろ複雑に捉えるがゆえ、深く考えることができてしまい、考えなくていいことまで考えてしまう。

 ひろゆき氏は、「頭がよくなると『高次元な悩み』を持ってしまう」と言っていた。    

 頭のいい人は、「余計なことを考える」というクセがあるため、幸福から程遠くなります。(中略)頭のいい人は、自分のことよりも「社会のため」「人類のため」という答えのないことに取り組むことに考えが及びます。

 その通りだ。ひろゆきは暴論や自分の見てきたものからしか意見を言わないが、これに関しては100%同意できる。幸せになりたけければ、ある程度割り切らないといけないと思う。知的好奇心は簡単に幸せになるためにはいらないのかもしれない。

 参考:ひろゆきが断言する「IQと幸福度が比例しない」残酷な事実 | 1%の努力 | ダイヤモンド・オンライン