本屋に行くと、世の中には無限に本が出版されていることがわかる。
そして立ち読みしようとすると、自分の行動は自分の興味によって規定される。かっこよく言ってみた。興味関心によって、人によって手に取る本が違うのだ。その手に取る本は、人生の過ごした時間のほとんどが反映されると行っても過言ではないだろう。
しかし、本屋に行くと、そうとも限らない。本屋に行くと、試されている気がする。自身の教養レベルが。私だってマンガやラノベも好きで、そちらの棚に行きたくなるのだが、ついつい、新書コーナーや岩波文庫コーナー、教育学系の棚に行くことになる。
これは一種の洗脳と自意識によるものであると考える。おそらく母に、「勉強・教養は素晴らしいものだ、大衆娯楽はくだらないものだ」ということを半ば洗脳されていたのではないかと思う。(母にそのような意図はなかったとしても。)そして、教養ある大人がかっこいいと思う自分は、マンガ・ラノベ・娯楽雑誌コーナーではなく、新書・文庫・学術書のコーナーに行くのだ。
そうしたわけで、本屋に行くたびに謎の葛藤をしている、エセ教養人である。