緑風渚の引き出し

若干ひねくれた大学生が22年の人生の中で思いついたことを書き残してます。

大学の授業の価値

 ゼミや対面授業が始まり1か月が経つ。本来の大学生に一歩近づいたような気がして、楽しい毎日だ。

 そんななか、大学の授業の価値が分からなくなってきた。先日、大学教育について考えるゼミで、コロナ禍におけるオンライン授業の「質」についての議論をした。大学の授業に求めているものによって授業の質の感じ方は変わるといった結論が出たが、自分はぴんと来なかった。

 自分は大学の授業に何を求めているのだろうか。授業を受けることよりも大事なことがある気がしてきてしまうし、ないからしょうがなく授業を受けている気もする。コロナ前の大学の授業は、時間も場所も制約されていたから、しょうがなく講義を受けて、残った時間で何をするかだっただろうが、今は比較的自由に授業が受けられ、時間も短縮させようと思えばいくらでもできる。自分は教育学を勉強するために大学に来たはずだが、大学の講義を熱心に聞くわけでもなく、何か目標があるわけでもなく過ごしている。何か夢中になれることをしたいとは思っているが、見つかっていない。だから、とりあえず授業をこなしている。どのくらい授業に時間を費やすか自分で決められるため、いつも時間をどのくらい使うべきか悩んでいる。人に見られていたら頑張るのだが、見られていないと頑張らないため、家でオンライン授業を受けても、内容は頭に入って来ない。

 したいこともなく、用意されたレールに乗るだけ。それに対する漠然とした不安。それが、やりたいことがあって休学したり、彼女とラブラブしすぎたせいで留年する人に憧れる理由だろう。

 そうして今日も、講義動画を「こなしていく」感覚で、図書館に引きこもり視聴し、課題提出を繰り返した。