緑風渚の引き出し

若干ひねくれた大学生が22年の人生の中で思いついたことを書き残してます。

強者男性であるということ

 社会的弱者のため・マイノリティのためにと言っても、自分はどこまで行っても強者男性なのだと思う。

 良好な家庭環境・高学歴・恵まれた友人・異性愛者・人と関わることが苦でない・自己肯定感高め。多分容姿にも恵まれている。運動神経や想像力など恵まれなかったものを数えた方が早い気がするぐらい恵まれている。自覚もしている。

 その居心地の悪さを覚える。のうのうと、悠々と、その利益を享受している自分が許せなくなる。無自覚に利益を享受すればいいのに。

 それでも、自覚しているつもりでも、無自覚な部分はある。ふいに出るであろう暴力性を自覚しながら、無意識で暴力をふるっていることがきっとある。それも辛い。申し訳ない。悪気のない無邪気な暴力ほど、どうしようもないものはない。

 障害、国籍、肌の色、異性からの性的な視線、標準恋愛でないことで向けられる好奇の視線、様々な差別と偏見があり、それは多数派であり権力側の人間たちが作っている。

 絵にかいたような男性エリートに分かるわけがないというのは簡単だ。それでもその特権性、権力性、暴力性に少しでも自覚的でありたい。それがよりよい社会、誰もが生きやすい社会のためだと思う。