緑風渚の引き出し

若干ひねくれた大学生が22年の人生の中で思いついたことを書き残してます。

情報過多の現代

 1960年代前半生まれの教授は、知らないことがあるのが怖いらしく、何でも知りたいと思うそうだ。新聞は5紙も購読し、雑誌も幅広く読んでいる。狭い専門分野を持たない教授だからこそできることであり、尊敬している。

 対して、現代の若者(22歳)の自分は、情報過多の時代を生きている。インターネットが当たり前にあり、SNSを通じて様々な情報が流れてくる。ニュースアプリではAIにおすすめの記事を選別されている。

 最近思うのは、極力何も知りたくない、ということだ。知らなくても生きていけるなら知りたく無い。半径5メートルのことだけで完結したい。入ってくるニュースは将来を不安にさせるものが多い。グローバル化が進んでしまった今、半径5メートルだけでは生きていけない。

 民主主義国家を担う一員として、ニュースは一通り知っておくべきなのだが、忙しさにかまけて、個別最適化されたYouTubeGoogle Discoverによって情報が自分好みにカスタマイズされている。いつかこのツケを払うときがくるのだろう。経済的な階層分断や食料危機、異常気象などによって。