緑風渚の引き出し

若干ひねくれた大学生が22年の人生の中で思いついたことを書き残してます。

ananとゼクシィを読む学部4年生(22歳・男)

 ananで年1のsex特集号が売っていたので、普段は雑誌を買わないが久しぶりに雑誌を買ってみた。

 高校生の時からananが女性向け雑誌であることが理解できなかった。読んでいて普通に面白いのだ。特に恋愛記事。エッセイも好きだった。この頃から自身の性別への若干の違和感があった。

 今年の特集号は渡辺翔太が表紙だった。知らない男性だ。

 セックスへの違和感はある。自分は社会的には男性で、身体的にも男性だが、恋愛の思考は女性的なのだろう。だからセックスのときに悩む。ほんとはリードされたい。恋愛もセックスも。でも自分でリードせざるおえない。アプローチを待つだけでは何も得られないから。

 最近ゼクシィも読んだ。早くも結婚式のことが気になっている。何より読んでて楽しい。結婚式なんて人生の一つのわかりやすいピークである。幻想だとしても一生の愛を誓うなんてロマンチックだ。

 自分は結婚相手を探すために恋愛をしている。遊びの恋愛への憧れがあまりない。安心感がほしい。女性的と言えば女性的なのだろうか。

 恋愛をしていて、自分はつくづく女性的な考えだなと感じる機会は多いが、同時に男性らしさを内面化してしまっている。男らしく振る舞わなくてはと思い、無意識に行動している気がする。

 うまく言語化できなくて悔しい。もっとこの違和感を言語化したい。