緑風渚の引き出し

若干ひねくれた大学生が22年の人生の中で思いついたことを書き残してます。

一生懸命生きてない

 最近一生懸命生きていない。まぁ、そもそも一生懸命生きていた時期があるのかと言われたら、ない気がするのだが。

 私にとって「一生懸命に生きる」とは、何か目的があり、その目的を達成するために一日の時間の大半を使うことだ。私は現在、目的意識が散在している。何のために生きているのかという意識がブレブレである。基本的に気分屋なので、将来のため・自分のためになることをやってるときもあるし、何も考えずに本能の赴くままに過ごしているときもある。

 本能の赴くままに過ごしているときは総じて、時間の密度が薄い。そもそも何も考えていないので、時間はあっという間に過ぎていくし、主体的に動いていないので、得るものも少ない。

 アメリカの大学生は、寮生活が基本で、授業の予習復習がきついらしく、クラブ活動もあると休む暇もなく活動していると聞いた。なぜ自分がその人たちを張り合っているかは自分でもわからないが、自分はダラダラすることに罪悪感があるのだろう。密度が高い時間を知っているからこそ、何かできたんじゃないかと思ってしまう。今なんて、中2のころに艦これにはまらなければ、東大に受かってたんじゃないかと思うことがある。艦これが一番楽しかった頃は、艦これ以上に面白くて、刺激的で、有益なことがなかった時なのだと後から振り返ると思ってしまうのだ。だから、刺激的で将来に有益なことをしたいと思うのだが、現実はだらける自分との折り合いをつけながら意識高い系と低い系を反復横跳びしている有様だ。

 何か目標があって、それに向かって走り続けられる人がうらやましい。これもないものねだりだろうか?