緑風渚の引き出し

若干ひねくれた大学生が22年の人生の中で思いついたことを書き残してます。

芸術品の箱/好きなものは選べる/背景知識

 街の木々が紅や黄色に色付くなか、北海道近代美術館に行ってきた。芸術週間だったので、常設展が無料で見られた。まさしく芸術の秋である。

 最近、建築の本で「美術館は芸術品の魅力を最大限引き出せる空間であるべき」のような記述を読んだ。そう思って美術館を見てみると、照明であったり、壁の色味であったり、建物全体の雰囲気が鑑賞体験に影響を与えていることに気がついた。ただ芸術品を見ているのではなく、その空間に配置されている芸術品を見ているのだ。

 大学生になってからふらっと美術館に行くようになったが、なぜ行くのかと聞かれると少し困る。別に絵が好きなわけではないし、美術に造詣があるわけでもない。なぜかと言われれば、大学生なら安く行けるし、美術館に行く人はかっこいいと思っているからだ。純粋に美術に触れているのではなく、美術を鑑賞できる自分になりたいのだ。美術館にいる自分が好きだ。好きな自分は選べるし、好きな自分に近づくこともできる。美術館は僕にとってそんな存在かもしれない。

 最後に、絵を鑑賞するのときに背景知識があるのとないのとでは、絵の理解に差が出ることがわかった。その絵を描いた画家が何者か知らないで観るのと、東京生まれ十勝育ちの農家の息子で、厳しい環境のなか馬と共に生き、高度経済成長を冷ややかな目で見ていた作者だと知っているのでは、絵を見たときに得られる情報量が違うし、絵が面白くなる。筆者の思いやストーリーが浮かんでくる。そんなことを考えながら、絵を見ていたカッコつけ大学生である。