緑風渚の引き出し

若干ひねくれた大学生が22年の人生の中で思いついたことを書き残してます。

「普通」とは

 普通とはなんだろうか。大多数? 過半数? 普通は母集団によって変化するものであろう、と考え始めたのは高校生のころからだが、やっぱり「普通」という言葉に悩まされる。

 私は「『普通』でありたい」という感情と、「「普通』にはなりたくない」という相反する感情をよく抱いている。自分でもよくわからないが、人間とは相反する感情を抱くものなのだろう。好きだけど嫌いとか。生きたいけど死にたいとか。宇宙人に人間について説明するときは「相反する感情を抱くもの」と説明したい。

 これから先大学の友人ができていく中で、僕の「普通」は変わるのだろうか。中高六年間は経済的に裕福で、学力のある、男子しかいない環境で過ごしてきたが、大学ではもっと多様性に富んだ友人ができることだろう。視野を広げたい。中高六年間の環境は「世間」ではないのだ。限定された限定された空間だった。これからは違う。

 面白くなりそうだ。