緑風渚の引き出し

若干ひねくれた大学生が22年の人生の中で思いついたことを書き残してます。

話しかけられたいキーホルダー

 お腹に赤ちゃんがいますキーホルダーや赤い障害者キーホルダー(ヘルプマーク)が普及するなか、「電車内で席譲りますキーホルダー」を作った男性が新聞で紹介されていた。

 名案だと思った。確かに自分から譲るのは勇気がいるし、判断が難しい。妊婦なのか太っているだけなのか、元気なご老人なのかそうでないのか。キーホルダーをつけていればその判断をしなくて済む。

 私は「話しかけられたいキーホルダー」が欲しい。一人で食事してるときとか、一人旅してるときとかに、誰かと話したくてしょうがない時がたまにある。そんなとき話しかけてくれたらどんなに嬉しいことか。それか、相手が付けていてくれれば、とても話しかけやすくなる。雰囲気を察するのが手間なので、分かりやすいキーホルダーにしてくれると助かる。

転職したら人生逆転!

 魔王軍の兵士だった主人公(30代)は突然解雇されるが、追放後に冒険者の才能が開花して、第二の人生は大活躍のスローなセカンドライフ

 コミックの広告だが、思わず心を掴まれてしまった。働き盛りで解雇されて、途方に暮れる未来が容易に想像できてしまう。そこで、前職の仕事スキルと新しい才能で第二の人生をエンジョイ!、といったらどんなにいいだろうか。そんな夢が詰まったマンガだと思ってしまった。世知辛い世の中である。

 これはいささかネガティブすぎるだろうか? 有名大を卒業しても、一流企業に正社員で就職できるとは限らず、終身雇用とも限らない。先など見通せない。

 やりがいのある、安定した仕事はないだろうか。それとも人生をもう少しポジティブに捉えようか。

心の底から楽しいゲーム

 弟は入試休みの課題があるのに、楽しそうにゲームをしたり、マンガを読んだり、乃木坂工事中を見てたりする。「ゲーム楽しいの?」と聞くと、「めっちゃ楽しいよ」と返ってくる。

 私は心の底からゲームを楽しめることが少ない。何かやらなきゃいけないことがあるのに、それをしたくないから、逃げるためにゲームをやる。最近の麻雀も楽しいからやっているというより、やらなきゃいけないことはあるんだけど、やりたくないからとりあえず麻雀している。ゲームをするとなぜか罪悪感があるのだ。

 今までは無料のソシャゲしかしてこなかったからだと思っていたが、そうでもなさそうである。スマブラやマリカ、桃鉄をしていても罪悪感は拭えない。なにか他にしたほうがいいことがあると思ってしまう。それこそ本を読んだり、勉強したり、主体的な活動をしたり。

 「ゲーム楽しめないのは人生損してるわ」と仲のいい友人に言われたことがあるが、そうかもしれない。高みなんて目指すのやめて、楽しく生きればいいのかも。

センター試験の思い出

 昨日と今日は共通テストの第2日程だった。

 出願時は750人ほどしかいなかったが、結局2500人ほどが受験したらしい。

 750人のために問題を作っていて、相変わらず大学入試センターは大変だなと思ったりしたものだが、コロナで第1日程が受けられなかった受験生への救済措置と考えると、よく機能したのかもしれない。

 結局センター試験とは大きく変わらず、何がしたかったのかわからない入試改革になってしまった気もするが、分析と改善はこれからだろう。

 センター試験の思い出は、日本史で二択で悩んだ5問ををすべて間違え15点失い絶望したり、第2回答科目の地理の方が点が高くなってしまったり、化学基礎が一年前より点が下がっていたり、数学で芋づる式で間違えていたり、散々だったが、気がつくと身の丈の点数は取れていたので、これも人生だと思い、納得した。とにかく点数に執拗にこだわることが必要なゲームだった。点数に執着できなかった自分はポロポロとミスを重ね、最終的に身の丈にあった点になっていた。模試よりは若干低いものの、実力は出し切れたと思い、二次に気持ちを切り替えた。いつか不合格体験記を書くときにはしっかり点数も載せようと思う。

みたことある光景

 弟が乃木坂46にハマっている。乃木坂工事中という番組が面白いらしく、You Tubeで違法アップロードのを何回も見て、食事中に思い出し笑いもしてる。録画もしているらしいが、コロナのせいで前のようにわちゃわちゃしていないらしく、早くわちゃわちゃしている姿が見たいらしい。1~4期生の顔と名前は全て一致したらしく、そんな事覚えてないで違うこと覚えろよ、と思ってしまう。

 しかし思い返すと、自分も高1の頃、声優の佐倉綾音にどハマリして、画質の悪い出演番組を食いるように何回も見ていた。ラジオ番組なのに映像もついている不思議な番組で、佐倉綾音矢作紗友里がコントのような会話をしていて面白く、とにかく佐倉綾音が可愛かった。番組の完全版はないので、You Tubeに違法アップロードされている切り抜きをいくつもいくつも見て、一日が終わっていたなんて日もあった。

 その頃の自分と重なるので、安易に責めることもできず、しょうがないのかと思ったり。勉強しとけと言われて、した方がいいことはわかっていてもできなかったり、テストの点で調子に乗ったりして、中高時代を追体験している気持ちになる。

中学受験の断片

 弟と、小学生時代の塾の話をして盛り上がった。

 通塾の電車の中で理科・社会のコアプラス(赤シートで隠す一問一答の問題集)をやった話や、毎週行う算数の確認テストの平均点でランキングが作られ張り出されていたことや、理科の確認テストで80点以下をとったら怒られいた話など、どれも懐かしい話が出てきた。

 そこで少しずつ思い出される中学受験塾での日常。断片的な記憶しか思い出せないが、確かに今考えると異常なものはある。同時に当時から中途半端な勉強しかできず、テスト後はもっとやっておけばよかったと思うのだが、そこそこの点は取れてしまうので、満足してしまう自分を思い出す。あんまり変わってないな〜と。

 それでも、勉強の基礎は間違いなく小学生の頃に出来ていた。計算力、読解力、理科社会の基礎知識、そしてなにより自分なりの勉強法と一応の勉強習慣が身についた。これは大きな財産だったと思う。今でもこれに助けられている。

第二外国語を真面目にやるか?

 少しずつ友達が増えてきて、衝撃の事実がある。「二外はGoogle翻訳で単位が取れる」。今年度はオンライン授業なので、テストもオンラインであることが多い。そうなると、教科書・ノートは見てもいいことになっているのだが、スマホも使えてしまうのだ。そのため、テストの画面を写真にとって翻訳させて回答したり、聞き取り問題もスマホに聞き取らせれば翻訳してくれるので、簡単に点がとれてしまうのだ。

 毎回、ギリギリになって焦って勉強していた自分が馬鹿らしくなった。この際どちらが「賢い」のか分からない。愚直にやっても、フランス語なんてどうせ使わないので、やっても意味ないのではと思ってしまう。もちろん、他の言語形態・文化を知り、見識を広めるという第二外国語を勉強する意味は知っているが、実感しづらい。

 結局、統一テストもあまり良くない出来だった。単位は来るだろうから、フランス語を二度と勉強しないかもしれない。そう思うと、もう少しだけ勉強しておけばよかったと思う。中途半端な癖が出た。