緑風渚の引き出し

若干ひねくれた大学生が22年の人生の中で思いついたことを書き残してます。

強者女性の彼女が無敵の人に殺されたら

 恋人と理想とする社会観が異なる。

 彼女は格差の是正の必要性を感じていない。どんな環境でも努力すればいいと思っている。社会的に不利なのは努力が足りなかったからだという自己責任論に立っている。彼女自身はとても努力家であり、様々な能力が高い。もちろん環境も恵まれているのだが。

 そんなとき無敵の人による無差別殺人事件が頭をよぎる。彼女は無敵の人に殺されたとき、どう思うのだろうかと。

 無敵の人とは、「社会的に失うものが何も無いために、犯罪を起こすことに何の躊躇もない人を意味するインターネットスラング。 2008年に西村博之ひろゆき)が使い始めた。」(Wikipedia)である。

 無敵の人が無敵になる要因はいくつがあるだろうが、大きくは自己責任論と社会的孤立があるだろう。自己責任論によって自分が苦しいのは社会構造のせいではなく、自分のせいなのだと他者から責められ、いつしか自分で自分を責めていく。親や友人など他者との関わり・つながりがなければ、この世に残るのは憎しみだけだろう。

 彼女は、絵にかいたような強者女性である。生まれに恵まれ、自分の努力で能力を獲得してきたと思い、自信に満ち溢れている。弱者男性の対極にいるような女性だ。彼女は生まれに恵まれず、環境に恵まれず、この世に憎しみしかない無敵の人に向かって何を言うのだろうか。その背景を知ったときそれでも努力しろと言うのだろうか。自分が無意識に履いているゲタを棚に上げて言うのだろうか。