緑風渚の引き出し

若干ひねくれた大学生が22年の人生の中で思いついたことを書き残してます。

ガクチカに思うこと

 ネット記事で、大学生がガクチカに苦しめられているという記事を読んだ。1年生からガクチカを意識して学生生活を送らなければならないという。

 ガクチカのために何かを頑張るというのは本末転倒のような気もするが、本来大学生は学業やサークル活動など何かしら自分のしたいことに時間を使い、頑張るものではないだろうか。自分のやりたいこと、したいことをすればそれがガクチカになるのではないか。自分がガクチカとして使った中学生への学習支援事業も、高校生の頃からやってみたいと思っていた活動である。

 ガクチカで求めているのは成果と共に、その経験から何を得たかだという。そこから企業の人が見たいのはその人の人柄や積極性なのではないかと自分は思う。何を頑張ってきたか、なぜそれを頑張ったか、そこから人柄を知ろうとしているのではないだろうか。ならば、ガクチカを作ろうと思って作ることも大事だが、気になることは何でもやってみて、続いたことが自然とガクチカになるのではないだろうか。

 もちろん自分もガクチカを作らなくてはいけないという圧力を感じていなかったわけではないし、ガクチカのために学習支援を続けたという側面がないわけではない。ガクチカ圧力がなければ怠惰な大学生活を送っていたかもしれない。なので、ガクチカ圧力はある程度あってもいいのではないかと思ってしまう。

 これも自分でキャリア形成を意識し、自らやることを選択し実行できる”強い個人”を前提とした考え方だろうか?