緑風渚の引き出し

若干ひねくれた大学生が22年の人生の中で思いついたことを書き残してます。

履修主義から習得主義へ

 教育学を学んでいる者として、今日の朝日新聞の記事の感想を書きたい。

 横浜創英中高校長の工藤勇一さんが履修主義から習得主義へ、とおっしゃっていた。確かにそのとおりなのだが、いささか綺麗事のように感じる。教育学をやっているとしばしば理想論的なものに遭遇する。特にその理想論を具体的に出来てしまった人たちが「これは理想論じゃありません」と言っているときは厄介だ。確かに、崇高な理念を持っていて、やる気があり、適切な方法で、生徒と向きあることができる先生ならできるだろう。しかし、生徒の習得状況を見極め、一人ひとりに合わせて見ていくなんて、普通はしたくない。めんどくさいからだ。それよりは全国一律平等で同じ時間数を授業した方が楽だし、体裁は整う。

 結局、教育の主役が教師か生徒か。その違いかもしれない。酷かった大学入試改革も同じく、主体はどちらなのかが重要だ。生徒主役の授業をするには、これまでとは違った授業方法が必要だろう。ICT教育が騒がれる今、教えるのはビデオ、面倒を見るのは現場の先生、のように役割分担をしたらどうだろうか。教えるのは、教えることが上手な先生がビデオでやって、わからない子どもを先生が見てあげるような形だ。生徒同士で教えあってもいい。新しい授業の形が必要だ。どんな教師でも受け入れ、理解し、実践できる授業の形だ。

 

今日嬉しかったこと

・昨日の自分の比べる癖をつけられたこと

・誘惑に負けず授業受けたこと

・メロンソフト食べたこと