緑風渚の引き出し

若干ひねくれた大学生が22年の人生の中で思いついたことを書き残してます。

東京貧困女子。を読んで

 今日東京貧困女子。を読んだ。本屋で気になっていたが、高くて買えなかった本だ。北大図書館のリモートアクセスサービスで読めるので試しに読んでみた。

 壮絶だった。悲惨というか、同じ大学生でもこんなにも環境が違うのかと思った。自分は経済的にも家庭的にも恵まれ、何不自由なく生きてきた。奨学金も借りず、今回のコロナ給付金も受け取れないだろう。しかし、何事もなく一人暮らしできている。親から学費も生活費も出してもらい、バイトせずとも生活できる。高校時代の友人も経済的に裕福な人しかいないため、奨学金の現状を知っていても実感が湧かない。

 しかし、東京貧困女子の第一章では、国立大医学部に通う女性が経済的困窮から風俗に頼るしかなくなっている状況を生々しく描写している。のうのうと生きている自分が申し訳なくなった。日本の経済的格差はどうしようもない域まで達しているのかとも感じた。富を持つものは裕福に、そうでないものは極限まで搾取される世界。新自由主義のもたらした世界なのだろうか。

 こういったものを読むと、やはり恵まれた自分は格差をどうにかするために動くべきなのではないかと感じてしまう。それが使命だと思う。こんな意識は数日と持たないが、それでも問題意識を持っている限り、この問題から逃げたくない。