緑風渚の引き出し

若干ひねくれた大学生が22年の人生の中で思いついたことを書き残してます。

未来の幸せの形

 豊平川のサイクリングロードを走っていると、子どもが遊べる遊具がおいてあるスペースがあった。夏場にはおそらく水が流れていて、川遊びのようなことができそうな、すべり台付きの水路のある遊び場だ。

 ふと、15年後の夏、自分の子供と妻と三人で来たら楽しいだろうな、と思った。遊び場の水路で子供が水遊びをしてはしゃいでいる様子を遠くから眺める。今日会ったばかりの子どもたちと遊んでいて楽しそうだ。ベンチに座っていると、隣にいるつばの大きい帽子を被った妻が「あなたも遊びに行きたいんでしょ?」と言ってくる。遊びに行きたい気持ちはあるが、子供が楽しそうにしているので、見守るだけでいい。子供がニコッと笑ってこちらを向いた。

 子供と目があったら、急にそっちに行きたくなるが、自分の靴を見て、水の中に行くのをためらう。すると妻が「足拭くタオルなら持ってきてるよ」と言い、微笑む。僕は靴と靴下を脱いで、我が子のもとに走る。

 

 なんて幸せな1ページなのだろう。私が求めている幸せの一つの形のように感じた。もし15年後同じような場面に遭遇したとき、私はこの上ない幸せを感じるのだろう。

 もしこれに似た場面に遭遇できなければ、私は自分自身が生み出した幸せに縛られながら、追い求め、悲しくなるのだろう。