緑風渚の引き出し

若干ひねくれた大学生が22年の人生の中で思いついたことを書き残してます。

ガンダムSEED FREEDAMと民主主義 ~民主主義はディスティニープランを否定できるか~

 『劇場版 機動戦士ガンダムSEED FREEDAM』を映画館で見てきた。ガンダムSEEDは未履修で、YouTubeガンダム公式がまとめていた『HDリマスター版全48話をぎゅーっと凝縮!!『機動戦士ガンダムSEED』スペシャルダイジェスト(Na.西川貴教) - YouTube』『HDリマスター版全50話をぎゅーっと凝縮!!『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』スペシャルダイジェスト(Na.西川貴教) - YouTube』を観ることで、98話分を68分で観た。物語の大筋を捉えることができ、2周した。98話を一気見するよりも、物語の理解はしやすかった。

 『劇場版 機動戦士ガンダムSEED FREEDAM』は愛が大きなテーマで、恋人とうまく行ってない時期にみるものではなかったと思いつつ、ラクス・クライン

 「必要だから愛するのではありません。愛しているから必要なのです。」

というセリフにしびれ、キラ・ヤマトラクス・クラインモビルスーツ合体に感動した。

 ところで、SEEDには「ディスティニープラン」という計画が出てくる。遺伝子によって自分の適性が分かり、その適正のある職業に就くというものだ。個人の自由意志はなく、戦争がなくならない理由を無知と欲望とし、ディスティニープランは戦争をなくすと説明していた。

 物語のネタバレをすると、主人公のキラ・ヤマトラクス・クラインはディスティニープランを否定するのだが、自分はここに若干の違和感を覚えた。2人はいわゆる強者男性・強者女性であり、恵まれた能力と可能性を生かして、自由意志のもと生きていくことを望むだろうが、一般の人は果たしてそうだろうか。遺伝子によって職業を決められ、選択肢のない状態で生きることはそんなに不幸なことだろうか。

 自由はいい面だけではない。選択肢が多いことは幸せとイコールではない。自由には責任が伴い、選択肢が多いことは迷いと後悔を生む。物語の中では自由の良さが語られ、ディスティニープランの破棄を選択するが、その責任をキラ・ヤマトラクス・クラインは取れるのだろうか。大多数の民衆の気持ちが彼らにわかるのだろうか。もっとも、民衆はディスティニープランの実行・破棄など知らず、勝手に巻き込まれ、生きていくのかもしれないが。

 今回の映画でも、敵の大将を討ち取ることで物語は終わっていたが、これでは争いは終わらないのだろうと感じた。民衆の総意を作り上げることは難しいが、皆で議論し最善の選択をすることが民主主義社会だと感じた。